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2003年06月02日(月) 07時05分

危機管理に甘さ システム改善急務 三陸南地震教訓河北新報

 だれもが因縁を感じずにはいられなかった。日本海中部地震からちょうど20年目の5月26日に発生した三陸南地震。秋田県内の人的被害は、避難後の体調不良者1人を含め重軽傷者9人と比較的軽微だった。だが、情報の殺到を想定していなかった県震度情報ネットワークシステムがパンクして震度の特定ができず「災害対策部」設置が遅れ、千葉隆前副知事が地震後も公用車を待たせてパチンコを続けたことが発覚するなど、危機管理意識の甘さが露呈した。この“余震”が残した教訓をどう生かすか。県に課せられた責務は大きい。(秋田総局・片桐大介)


◎システムパンク
 26日午前9時に男鹿半島沖でM7.7の地震が発生したという想定で行われた防災訓練。災害対策本部の大型スクリーンには防災訓練の状況のほか、県内各地の震度が逐一、表示されていった。

 ところが、同日午後6時24分に発生した三陸南地震では、全国の震度情報が大量に送られてきたため、震度情報システムの容量が不足し、コンピューターがストップ。羽後町が震度5弱と分かり、震度4で設置する「災害警戒部」を震度5弱以上の「災害対策部」にレベルを上げたのが同46分、全市町村の震度が判明したのは26分後の午後6時50分だった。さらに西仙北町の震度5強を県が確定したのは30日になってからだ。

 「防災訓練では、県内の情報を集めるだけ。まさかパンクするほど全国の情報が集まるとは考えていなかった」(県総合防災課)と明かす。寺田典城知事は「システムの弱点はまだまだある」と認めている。今回は軽微な人的物的被害に救われたが、津波などが発生すれば素早い情報伝達が生命線なだけに、システムの改善は急務だ。


◎防災体制
 県の地域防災計画によると、知事、副知事が構成員になるのは震度6弱以上で設置される「災害対策本部」。「災害警戒部」「災害対策部」段階では構成員になっていない。辞職した千葉前副知事は「携帯電話で警戒部設置を確認した」と話しており、単に登庁しなかっただけなら、即責任を問われることにはならない。

 だが防災計画自身に問題はないのか。三陸南地震で県内以上の被害を受けた宮城県では、震度5弱以上で設置する「災害特別警戒本部」で副知事が本部長となり指揮を執る。岩手県は震度5強以上で知事が本部長となる「災害対策本部」を設置する。県庁内の指揮命令系統については、いずれも秋田県よりも強力な基準を設けている。

 寺田知事は「形の上では行かなくていいが、グラッときたら近くの職員は県庁に来ること。計画を立てても実行できなければ意味がない」として、計画を見直す前に幹部ら職員の心構えを引き締めるという。

 三陸南地震が発生した瞬間、秋田市山王地内で防災訓練の打ち上げ中だった県総合防災課員は、いち早く駆け付けた。「携帯電話が通じなくとも、地震発生後約45分で、災害対策部の事務局員は8割程度集まった。自主的に集まった各課長もおり、人員は十分だった」(県総合防災課)と評価できるだけに、千葉前副知事の不手際が際だってしまった。

 今回の県の対応について、日本海中部地震の聞き書き集をまとめた能代市の作家野添憲治さん(68)は「表面の被害は軽く済んでよかったようなもので、災害訓練後なのに県の迷走ぶりにはあぜんとした。今回の出来事を強い教訓としなければならない」と語る。

 県総合防災課の今野謙課長は「20年目の防災訓練の日の地震は、体に焼き付いた」と話す。三陸南地震発生時は、テレビ各局が日本海中部地震当時の映像、訓練のニュースを流していた時間帯。県職員だけでなく県民も忘れられない地震になったに違いない。
[河北新報 2003年06月02日](河北新報)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20030602-00000004-khk-toh

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