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2001年05月10日(木) 11時30分

「コミュニケーションの閉塞」を改善するP2P技術.1(Hotwired)

岩谷宏の「ITの道!」
 ──インターネット社会の倫理と正論を考える

第9回 「コミュニケーションの閉塞」を改善するP2P技術


●犯罪の根絶のために必要なことは・・

 疫病の根絶は、今にはじまったことでなく一般的に課題視されるが、犯罪の根絶は今日まで、真剣な研究課題や政策課題であったことはない。この“非直視”の、原因は何だろうか? もちろん、警察力の増強や刑罰の厳重化は犯罪の防止策ではなく、ましてその根絶策ではない。今日までのわれわれの社会通念や人生認識の中には、犯罪を必然の一種として容認している部分があるように思われる。言い換えると、今日までのわれわれ人類社会は、必然的に犯罪者を生み出す社会であり、しかも社会のその性質はどうしようもないものである。そのどうしようもない社会の中で、せめて、自分と自分の家族は、犯罪者にならないことと、犯罪の被害に遭わないことを祈願するのである。

 しかし、犯罪を社会的病理の一種と考える新しい社会学の観点から見れば、人が犯罪者(犯罪の実行者)になるその直前の極限状態には、ひとつの共通の性質があるように思われる。その、犯罪に踏み切る直前の、すべての犯罪者に共通する沸点的ないし氷点的限界状況とは、「コミュニケーションの閉塞」である。人は、どんな悩みや憎しみや怒りや情欲など否定的な感情を抱えていても、そのことに関して、または一般的日常的に、周囲と円滑円満なコミュニケーションができている状態があるならば、彼/彼女は犯罪の実行へと踏み切ることはない。

 そういう意味では、今日までのわれわれの社会には、個々の人生をコミュニケーションの閉塞の状況および、閉塞の大きな原因のひとつである、犯罪を犯す当人のそれに限定されないきわめて一般的なコミュニケーション不能の資質へと導きがちな、強大な仕掛けがいくつか設けられている、と見ることができる。それらコミュニケーションの大きな障害物について個別に議論できるスペースはここにはないが、それらの“五指”に入ると思われるもののひとつが国家の諸制度だ。

 William Wong作のJavaによるGnutellaクローンは、Furiと名付けられている。FuriはFuryであると読み取れる(そのタイトルロゴを見よ)。すなわちそれは憤怒、激しい怒り/憤りだ。たしかに、ネットワークの構成員の多くが“クライアント”という受け身の立場へと閉塞される今日までのメジャーなインターネットアプリケーションは、憤怒の対象になりえる。これに対してGnutellaを嚆矢とするいわゆるピアツーピアファイルシェアリングシステムは、現状のインターネットに投じられた強大な爆弾であると比喩することもできる。しかしここでは爆弾はあくまでも比喩である。インターネットの上では、憤怒から、憤怒と名付けた新しいネットワークアプリケーション、というコミュニケーション素材を生み出し流通させることができる。

 ところが、たとえば国家の諸制度や諸慣行はそうはいかない。ティモシー・マクヴェイ(編注:米オクラホマ・シティ連邦ビル爆破犯)は何に憤怒したのか? 彼の憤怒は、なぜ、ついに十分なコミュニケーションのチャネルをもつことなく、その閉塞の臨界点に達してしまったのか? あるいは日本の場合では、松本某らの創始した珍妙な似而非宗教が、なぜ毒ガスの生産と使用に易々と成功するまでにのびのびと“成育”できたのか? 彼らの憎しみの原因と、憎しみが未解決のままその肥大が放置された原因は何か? これらの問いには、あまり単純明快な答えがない。

 マクヴェイの処刑の実況が、被害者の遺族だけが視聴できるかたちで“放送”されるという。しかしその醜怪で悪趣味な映像データの物理的な限定封じ込めは、完全には成功しないだろう。彼の憤怒の対象がAであったとするなら、たぶん、今後発生する第二第三のマクヴェイの憤怒の対象は、“実況放送された彼の処刑”である。つまり今日までの国家は、コミュニケーション不能とコミュニケーションの閉塞を導く原因を、その都度々々々々再生産している。極言すれば、国家が犯罪者を作りだしている。国家が公然と殺しをするから、国家が、犯罪の真の解決策収拾策になりえない“不毛な解決策”を殺しに求めるから、今後何度も何度も、第四第五のマクヴェイらも公然と殺しを行う。われわれはいいかげん、この堂々巡りの論理から醒めるべきである。

 犯罪の実行という、コミュニケーション閉塞の臨界点をもたらすものは、コミュニケーションを阻害する具体的な条件や状況ではない。言い換えると、具体的にあれとこれを改善し、こことあそこを取り除き、なにとかにを実現したらコミュニケーション閉塞への至りは防げる、といった安易な問題ではない。そういう個々具体的な事項ではなく、人間と社会のもっと基底部を支配している慣行が、必然的に、閉塞に至りつくような内面過程を生み出し、それがついに臨界点に達するまで、毎度々々放置育成している。 (つづく)


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[ワイアード 2001年5月10日]


http://news.yahoo.co.jp/headlines/hwj/010510/cpt/11300000_wircpt991.html

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