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1996年09月11日(水) 00時00分

(6)強いられた生活に仕返しの時読売新聞

 品のいい中年女性というのが第一印象だった。1人息子の結婚式当日に離婚届を出すという大胆な行動に出るようには、とても思えない。しかし、花婿の母親の役目を終えると、そのまま東京都内の家に戻らず1人暮らしを始めたという。

 離婚したのは5年前。50代初めだった。自営業の夫とは見合い結婚。典型的な亭主関白で、家を顧みない。妻が病弱な長男を寝ずに看病していても、いたわることはなかった。それどころか、経済的に羽振りがいい時期には愛人までつくった。

 性生活も一方的。どんなに妻が疲れていても強引に求め、終わるとさっさと寝てしまう。「心地よいとか幸せな気持ちになったことが1度もない。ただ嫌々相手をしているだけ」

 妻は40代後半から、ひどい肩こりや偏頭痛に悩まされた。突然、のぼせて、服にはっきりとにじみ出るほど大量の汗をかく。更年期の症状と気が付かないままあちこちの病院に通ったが、体調は一向に回復しない。夫は相変わらず当てにならず、つらい時期を孤独な思いで過ごした。

 このころから、夫とのセックスを拒否し始める。「性交痛がひどくて我慢できなかった」と言う。50歳で閉経した時は「女はこれで卒業。お勤めから解放されると思うとせいせいした」。すぐ寝室を別にし、離婚するまで一切夫を受け付けなかった。

 欧米の女性が閉経を恐れるのに対し、日本の女性は「女からの卒業」を夫の求めを堂々と拒否できる勲章のように喜ぶ傾向が強いとされる。

 群馬県高崎市の産婦人科医、本庄滋一郎さんが患者の夫約60人に聞いたアンケート結果では、更年期が終わって「夫婦の関係が疎遠になった」と告白した人が6割に上っている。更年期に入った妻の心と体の突然の変化に、なすすべもなく狼狽(ろうばい)する夫たちの姿がまざまざと見えるようだ。

 「女性にとってつらい更年期を夫婦でうまく乗り切ることが、性も含めたその後の夫婦の関係を深めるのに」と本庄さんは残念でならない。

 ルポルタージュ作家の本岡典子さんは4年前から約50人の更年期女性に直接インタビューして、「ある夫婦のかたち」という本にまとめた。離婚に踏み切ったケースはまれだが、「晴れて夫にノーが言えた」と喜ぶ女性が非常に多かった。妻から夫への性的な仕返しとも映った。

 一方的に性を強要される関係、その背後に結婚以来の微妙な夫婦のあり方がくすぶっていた。それに気付いた時、本岡さんは自分たち夫婦の姿を見つめ直してみる気になった。

 そのころは30代後半。子供2人はまだ幼かった。会社員の夫は家事や育児にも協力的だった。しかし、子供が熱を出した時、翌日の仕事の予定をどうするか悩むのは決まって妻。家事を助けているという意識の夫では「かゆい所に手が届かない」。そんな不満がおりのように心の中に積もっていた。

 子供を保育園や実家に預けて取材に出かけ、夜遅くまで原稿書き。子供との時間のやりくりで精いっぱい。コミュニケーションとしてのセックスの大切さは分かってはいたが、「体がくたくたで、そんな気が起きる」余裕すらなかった。

 「でも、これではだめ」。更年期の取材を重ねるごとにその思いが強まった。子供たちが寝静まったある晩、新婚当時の習慣だった腕まくらを夫にせがんだ。

 更年期の女性の体やセックスの変化を話題にしながら、積もり積もった小さな不平をぶつけ、時々はこんな風に仕事や家事、育児の愚痴を聞いてほしいと甘えた。

 夫も口を開いた。「夫婦のきずなと言うならもっと夫婦の時間を」「いつも疲れているを口実にしないでほしい」。夫の言い分にも素直に納得できた。明け方までお互いの体と心の欲求について語り合い、そのまま眠ってしまった。

 その後も、しばしば腕まくらでひと時を過ごし、その度に2人の親密さが増していくのを実感している。

 40代を迎えた今、「20代、30代の時より女としての性が深く、豊かになった」と言う。ひと足先に更年期の夫婦の問題と出合えたおかげだと思っている。

http://www.yomiuri.co.jp/feature/sfuukei/fe_sf_19960911_01.htm