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1996年09月07日(土) 00時00分

(5)避妊は苦手?中年の既婚者 繰り返される中絶読売新聞

 「嫌だ、嫌だ」と泣き叫ぶ自分の声で麻酔から覚めた。「そんなに嫌ならどうして避妊しなかったの」という看護婦の言葉が、鋭く胸に突き刺さった。

 神奈川県の会社員A子さん(45)は、初めて人工妊娠中絶をした10年前の悪夢のような記憶にいまだに悩まされている。2人の子供の育児と仕事で忙しかったし、目まいと吐き気がひどく「とても産めない」と夫に言った。

 初めて妊娠したのは大学生の時だった。診察台に乗った瞬間、中絶がどんなことか分かった気がした。「中絶しろ」という周囲の声を押し切って出産した。

 その自分が、今度は中絶するのかと思うとつらかった。実は、2人目の子供を妊娠するまで避妊らしい避妊はしていなかった。訪問販売で買ったコンドームがなくなっても、夫は「恥ずかしい」と買いに行こうとしない。

 2人目の子供を産んでからは、コンドームのほかいくつかの避妊法を併用した。しかし、夢中になって間に合わなかったことも少なくない。

 「失敗を繰り返しても懲りない人間でした。勉強が足りませんでした。どんな親しい人にも言いたくなかった。初めて人に話しました」と、涙を浮かべた。

 中絶は、未成年や結婚前の若い女性が避妊に失敗したあげく——というイメージが強い。しかし、実はその大半は既婚者とおぼしき年代で占められている。その割に詳しいことが分からなかったこの年代の実態解明に最近、厚生省の研究班が初めて本格的に取り組み注目されている。

 まとまったばかりの「望まない妊娠等の防止に関する研究」報告書の内容は、ショッキングだ。1994、95年度に調査した首都圏の成人女性1400人のうち、50歳未満の女性の18%が中絶をした経験があると答えたのだ。この割合は高い年齢層ほど高く、44歳では3人に1人が経験している。中絶者の4人に1人が、“繰り返し中絶”をしていた。お互いに避妊に無関心なカップルや、男性が非協力的な場合に繰り返しやすい傾向があった。

 研究をまとめた国立公衆衛生院保健統計人口学部長の林謙治さんは「女性は男性まかせの避妊に頼り、男性の知識は雑誌や友人からのノウハウに偏っている。もっと体系的で正確な知識が必要」と言う。

 昨年、国内で行われた中絶の件数は34万3000件に上る。この40年間で3分の1に。減った理由は性知識の普及ではなくて晩婚化の影響とされ、実数はこの1・2倍とか3倍とか諸説ある。半数が30歳以上なのは、今回も変わらない。性をよく知っているはずの年代がなぜ望まない妊娠をするのか。

 日本家族計画協会クリニックの北村邦夫所長は「セックスは常識や理性を捨て我を忘れる行為。それは既婚者でも同じ。避妊の中心はコンドームだが、使い方の失敗や破損があり完ぺきではない。事態は依然深刻」と言う。

 中絶は、女性の心身を傷つける。この研究では約半数が何らかの供養をしていた。

 林さんは「女性は中絶後1人で苦しむ例が多く、精神的なケアが必要だ。しかし、男性は切実感がない。そのため、手術後も話し合わず、中絶が繰り返され、夫婦の関係にも影響する」と男性に厳しい。

 A子さんも手術後、夫と中絶について話しあったことはない。それでも、夫はコンドームがなくなると自分で買うようになった。彼も悲しかったのだろうと思っている。

 既婚でありながら中絶を繰り返すのは、夫婦の間でも「性はいやしいこと」といった認識があって話し合いを避けるからではないか。避妊の意味を共に考える——それがお互いの愛情を確かめることにもつながるはずだ。

http://www.yomiuri.co.jp/feature/sfuukei/fe_sf_19960907_01.htm